たかしのわくわく旅ブログ
Station No.4:小田原駅 ~東海道新幹線編~
小田原~、小田原です!
皆さん、こんにちは!多趣味な鉄道愛好家のたかしです!!
急に暑くなのか体調を崩してしまい、更新が遅くなってすみません<(_ _)>
体調もよくなったので、引き続き更新していくのでよろしくお願いします!
今回やってきたのは小田原駅です(^^)/
さて、【小田原】と聞いて何を思い浮かびますか?
たぶん、【小田原城】や【海】、【箱根の近く】みたいな感じではないでしょうか。
今日、ご紹介するのはある人物とおすすめスポットになります!
知らない人はほとんどいない!あの人は小田原出身だった!!
ある人物は、【二宮尊徳(にのみやたかのり/そんとく)】です。
誰( ゚Д゚)と思われた方は、【二宮金次郎(にのみや きんじろう)】という名前は
一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
そうなんです。二宮金次郎こと、二宮尊徳は小田原市の生まれなんですよ!
画像のような像が、よく小学校の校庭にありませんでしたか。
自分の母校にはありましたよ(^^)
ちなみに、どうして二宮尊徳は画像のように背負子(しょいこ)を背負って、勉強しているようになったか知っていますか?
こうなった経緯は、次のとおりです。
二宮尊徳は1787年に裕福な農家に生まれましたが、川の氾濫により田畑を失い、また尊徳が14歳の時に父親を、16歳の時に母親を亡くしています。その後、叔父のもとに預けられたのですが、尊徳がある夜、明かりを灯して読書していると、叔父から「油がもったいない」と怒られました。なので、空き地に菜の花を育てて、採れた菜種と油を交換して読書するようになりました。しかし、また叔父から「百姓には学問はいらない」と叱られてしまいました。このようなところから画像のように歩きながら本を読むようになりました。
どうですか。この経緯を知るだけでも、二宮金次郎像の見方が変わりませんか?
しかも、二宮尊徳のレジェンドはこれだけじゃないんです!!
二宮尊徳は実家の再建のため叔父のもとを離れます。そして、勤勉と倹約に努めた結果、24歳の時には生まれた当時のように裕福な農家になるまで実家を再建することができました!
すごすぎる( ゚Д゚)
自分も見習いと(>_<)
この実績が認められ、当時の小田原藩士服部家の財政立て直しや分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたり、そして生涯に615の村々を立て直していったと言われています。
もっと二宮尊徳を知りたくなったら、小田原城に行くついでにここに立ち寄ることをオススメします!!
◆【報徳博物館】 https://www.hotoku.or.jp/sontoku/
二宮尊徳の前半生、後半生を振り返り、その実績や思想・方法論を学ぶことができます。
遺品や当時の文献などの資料を展示しているほか、子孫・門人らに受け継がれた報徳運動、社会への影響などについても紹介しています。
そして、博物館や小田原城を見学したらいい感じにお腹も減ってきているのはないでしょうか?そしたら、報徳博物館の向いにある報徳会館の【杜のひろば】へLet`s Go!
ひろば内には2つのオープンカフェがあります(^^♪
落ち着いた雰囲気の中で、心も体もリラックス!!
◆【きんじろうカフェ】と【Café小田原柑橘倶楽部】
最後に二宮尊徳の名言の中に次のものがあります。
人道は一日怠れば、たちまちすたれる。
百姓である尊徳らしい名言ではないでしょうか。
毎日鍬を使って畑を耕すように、日々おのれの務めを誠実にこなす、その当たり前の努力の歩みが人の道であるという意味になります。
自分もそうなんですが、年初めに立てた目標など決心したことに向けて努力し、行動していくことはなかなか難しいですよね( ;∀;)
尊徳の名言を心に刻んで、日々自分を磨いて、立てた目標に向かって頑張ります!!
では、次の【熱海駅】に向けて出発進行🚦~